ラテンアメリカにおいてメディア教育が直面している固有の課題は、生活水準による格差を狭めて、貧困 家庭出身の若者たちが文化的技術的商品を、より公平に利用できるようにすることである。障害は少なくな く難題は無視できないが、最初の段階としては、公共政策、国の政策として、メディア教育を導入すること である。幸い、メディアを用いて学習者に分析、解釈、創造的な活用を指導してきた教師たちがもともと存 在する。メディア教育が公共政策の一部となると、この考えは個人のとりくみを越え、私的な努力から国家 の責任に変わった。国の政策となることが、大きな障害を克服し、21 世紀のメディア教育が示す主要な努 力目標を具体化するための唯一の方法である。
MENA(中東・北アフリカ地域)におけるメディア・リテラシー ―形容矛盾の悪循環の克服をめざして―
)地域は発展の可能性にあふれている半面、社会的不安、政治的煽動、市民的 自由の欠如が社会に蔓延している。当地域では、他の多くの緊急課題のためにメディア教育の地位が低く、 それが市民参加に悪影響を及ぼしている。MENA の国々におけるメディア・リテラシー実践の現状は、メ ディアに批判的に接する能力において低水準である。調査結果は、一般大衆とジャーナリストとの間のギャ ップが大きいことを示しており、この点はメディア・リテラシーをさらに弱体化させている。本稿では、は じめにMENA 諸国と、そこにおける「機能不全」について、当地域におけるメディア・リテラシーを特徴 づけるさまざまな緊張と矛盾を説明するために、「形容矛盾」の比喩を用いて論じる。次に、そうした現状 を解明するために、メディアに関連した政治的な背景を明らかにしたい。また、調査データをもとに、当地 域の決して明るいとは言えない現況を変革する試みや可能性を探究し、最後に当地域におけるメディア・リ テラシーに関する政策立案におけるいくつかの重要な論点を提起する。
アフリカの教育改革にマルチメディア技術の導入が始まった: ガーナの場合
ここでは、ガーナの教育における新旧の情報通信技術の導入を概観する。ここで指摘するのは、マルチメデ ィアの技術の進歩が、教育におけるICT の導入を究極的にどのように奨励してきたかということである。し かしここで問題となることは、これらの新しい技術を学校や大学で導入する教育が、構成主義的な考えに基 づいて、知識とその再生を再概念化する教師教育のカリキュラムの要求に応えていなかったことである。こ うした議論がないままでは、授業に導入された新しい情報通信技術が、批判なしに知識を伝達していく古い 伝統の教授学習を再び強化するために使用される危険がある。結論として言いたいことは、授業において、 ICT と他のメディア通信の道具によって強化された、新しい専門的な学習のアイデンティティと学習経験に よって、ガーナ及び他のアフリカ諸国における教師教育カリキュラムが変わるのは間違いないということで ある。
メディア教育の制度化―オンタリオ州の経験
本分析は、カナダ・オンタリオ州におけるメディア・リテラシー教育についての報告である。本報告は、 州政府によって法制化されたメディア・リテラシーのためのカリキュラムの概要を提示するものである。特 に、メディアについて教えるためのカリキュラムと授業実践の根底にある理論、そして多様なアプローチに ついて説明している。本報告はまた、メディア・リテラシー教育の推進を手助けする主要な団体やパートナ ーシップの活動について説明し、さらにメディア・リテラシー教育プログラムの上手な開発と導入方法を提 案している。結論では、オンタリオ州の事例を踏まえ、世界中でメディア・リテラシーを教育に導入するた めの9つの基本的な理念に焦点を当てながら、メディア・リテラシーの挑戦と将来の方向性について検討す る。
韓国におけるメディア教育の歴史、政策および実施
最初に1980 年代の市民運動から影響を受けた韓国のメディア教育の社会的な背景と歴史を述べる。特に 政府機関である文化体育観光省訳注1 の傘下組織が行っている様々なプログラムと放送法を中心にメディア教 育に関わる法律と政府政策について論じる。また教師団体や市民社会団体、メディア産業界によるメディア 教育のより良い事例をとりあげ分析を行う。メディア・リテラシーの要素が含まれている最近新しく改訂さ れたナショナル・カリキュラムなども紹介する。結論として、メディア・リテラシーに関わるより一貫性あ る政策とテーマに関する活発な議論の必要性を指摘する。
変革の媒介者としての教育改革: この10 年間における香港のメディア・リテラシーの発展
メディア教育は香港において比較的新しい研究分野であるにも関わらずすでに盛んに行われている。これ はなぜなのか。本論では教育改革がこの10 年間のメディア教育の発展を促す重要な要因であったことを指 摘する。そして改革においては3つの主要な変化、すなわち香港の中国統治権への返還、情報技術(ICT) の導入、近年のカリキュラムの見直しがあったことをあわせて指摘する。分析によって、メディア教育が次 の5つの基礎技能を育むことが確認された。すなわちコミュニケーション、創造性、批判的思考、問題解決、 自己管理である。これらは教育の題材が多様なメディアから選択され、かつ横断的な学習単元が学習者中心 の教授方略に則って教えられるときに特に育まれる。
グローバル・メディア・リテラシー教育で表現の自由をはぐくむ
表現の自由は、人の生死に関わる問題でもあり、生活の糧に関わる問題でもある。あらゆる意見を伝え、 そこで自由な議論が保障されているメディアは、経済成長を助け、企業の透明性と説明責任を促すだけでな く、健全な政府を支えかつ監視する役割を中心的に担う。いかなるグローバルな問題も政治的闘争も、その 問題言説や解決策の提案においてメディア報道の影響から逃れられないが、先進国、発展途上国に関わらず 世界中の生徒・学生はそのことを理解する必要がある。「メディアとグローバルな変化についてのザルツブ ルグ・アカデミー(The Salzburg Academy on Media and Global Change)」は、世界に先駆けて、世界 中の大学、メディア組織、文明の同盟やユネスコなどの 国際機関を一同に集め、グローバル・メディア・リ テラシー(GML)のカリキュラムや授業案、メディアの表現と評価を教えるための問題集や教材の共同開 発を行った。ここで開発されたGMLの 教育資源は、グローバルなコミュニティによってグローバルなコ ミュニティのためにつくられており、これによって、世界中の生徒・学生が情報社会において能動的で包括 的な役割を担うことができる力を育むことがめざされている。
専門家と市民にとってのメディア・リテラシー教育の課題: 南側諸国における格差を埋める
情報コミュニケーション技術(ICT)は、ジャーナリズムとメディア教育に新風をもたらした。戦略的、参 加型の教育のビジョンがなければ、ジャーナリズムとメディア教育は民主的で参加的な情報社会でのプロジ ェクトを推進する際には機能しないだろう。同じように、戦略的、参加型の教育のビジョンがなければジャ ーナリズムとメディア・リテラシー教育は、訓練と雇用の関係で世界中が経験しているギャップを埋めるこ とができないだろうし、政府の政策やメディア制作者に対して建設的な影響を与えることもできないだろう。 とりわけサイバー空間における専門家と市民の実践に対しても建設的に影響することはないだろう。ジャー ナリストとメディアは社会と国家間において決定的な位置を占めており、メディア・リテラシー教育を初等 教育から導入する公の政策を要請している。メディアは知識の源であり、発展のための道具であり、シティ ズンシップの母体であり、「社会的存在」や平和を構築する源である。究極的な課題は、各機関が有機的に 連携した情報社会の到来である。各機関が有機的に連携した情報社会の到来により、「解放されたジャーナ リズム」訳注1が確立できるかどうかが課題である。南側諸国におけるメディア教育実現の主要な障害のひと つは、このように報道の自由が確立されていないことにある。
メディア教育のためのカリキュラムの貢献: 構築における過程
本稿は、生徒が能動的に現代世界に参加するために求められる能力を発達させることを主張し、教育や教 育カリキュラムの観点から、メディア情報リテラシーを分析するものである。カリキュラム開発の政治的・ 技術的な構成要素は我々が構築したいと望む社会のタイプを反映することについて考察する。同様に、すべ ての子どもおよび大人が、学習への期待やニーズ、および学習形態に応じた教育を受ける権利の保証を目指 し、参加と平等の機会を保証する教育の観点としてインクルーシブ教育の概念を示す。「グロ・ローカル」 カリキュラムの概念では、グローバルとローカルな現実の間を往還できるような生徒の能力を発達させるも のであること、学校を日常生活の状況に近づけようとするものであることを論じた。分析はメディア情報リ テラシーがカリキュラムにおいて教科横断的であるべきだと結論づける。それは、他の考え方との間や、高 度な教師教育や、教師間のスムーズなコミュニケーションや、参加の合意形成の過程における充実したイン クルーシブ教育の提案で求められてきたものである。
ヨーロッパからのメディア・リテラシーへのアプローチ インクルーシブな知識社会に向けて
今日、情報は個人の成長と幸福のための主要な資源の1 つであるため、情報の分配と活用は、社会のために 最優先されなければならない。だれもがこの情報源の活用方法を学ぶことができるように対策を立てる必要 がある。さらに、科学の進歩と現代の教育的パラダイムでは、学問領域を超越した学びに力を注いでいる。 情報とコミュニケーション科学は、一方では媒体に、もう一方では過程に焦点を当てるため、本来双補完的 である。そのため、重要な共有領域の多くには、より優れた明解さと概念の一貫性が存在するに違いない。 本稿は、情報を適切に扱うために必要な能力の研究開発について、学問領域の間に見られるいくつかの合致 点を特定し、図書館学と情報科学の観点から考察を深めたものである。
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